考える物置

日々あったどうでもいいことやどうでもよくないこと

033 「推し」の気持ち悪さについて

 世の中的になにか好きなものがあればすぐ「推し」「推し」って気持ち悪くてたまらない。この文章のだいたいの結論は「好き」でいいじゃん。です。ただ、この気持ち悪さがどこからくるのかの理由ははっきりしていないので、感覚だけで気持ち悪いと言っているのもなんだからそれを確信に変えるもの。なお、いわゆる「推す」「推し」の一般的な定義は敢えて調べない。サックリと。

①言葉の意味

 動詞「推す」の意味を確認しておく。(引用:Weblio辞書)

(以下引用)============================

お・す【推す】

[動サ五(四)]《「押す」と同語源》

1 人や事物を、ある地位・身分にふさわしいものとして、他に薦める。推薦する。「候補者に—・す」「優良図書に—・す」

2 あることを根拠として、他のことを判断する。推し量る。「彼の口ぶりから—・すと失敗したらしい」

3 さらに突き詰めて考える。「その点を—・していくと、問題の本質が明らかになる」

[可能] おせる

https://www.weblio.jp/content/%E6%8E%A8%E3%81%99

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 まあ1の「他に勧める」の意味でしょう

 他にも3の「突き詰めて考える」からという可能性、例えば好きなもの(アイドルや漫画など)にどっぷりとはまっていき、とにかくその事柄を深く突き詰めていくということもなくはないかもしれないが、どちらかというと「突き詰めて考える」というのはベクトルが自分に向いているものであり、感覚としては仮に「考える」以外に使うとしたらスポーツとか勉強とかを突き詰めて習得するみたいな、技術的な側面があるものに使うように思われるため、この線はなし。

②内省その1(メイン)

 前項で「他に勧める」の可能性が高いとしたところで、では人に勧めているかっていう話。

 「これ良いよ」「嗜んだほうが良い」と、そういうことなんだよね?「推せる」=「人に勧めることができる」だけであって「自信をもって人に勧められる(なんなら勧めている)」でないのなら、また自分の観測範囲でいわゆる「推し」を他人に勧めているまでの温度感を感じていないことから(影響力の少ない人がSNSで「推しです!」とか言ってやってるだけなら、電脳世界の上に「私はこれが好き」と表明しているだけなので。人に勧めるという行為自体が特定の人へ働きかける力が大きいと思うが、SNSの性質を考えると有名人など影響力がよっぽど大きくない限り不特定多数に向けての発信はその働きかけが弱く推薦とまでいかず表明に留まるという感覚。多少気になることもあるかもしれないけどね。いうまでもなく特定個人に向けた働きかけであれば推薦でしょうね)、「おすすめ度」はそんな高くないのであって、すごく好きなものに使うのではない、ちょっとでも好きであれば使うことができるというのが現状と思われる。ということを踏まえて「好き」=「推し」となっているような状態と本来言葉が持つ意味とのギャップに自分は気持ち悪さを感じているのかもしれない。

 ただしこれはまあ一般化のせいというのもあって、本来オタクの仲間内で使う用語としてであれば「おすすめ度」も非常に高くオタクの間で強く勧めあうものであり「推し」度合いはそれはもう気持ちの迸りがすごかったのでしょうが、一般化するにつれて言葉の持つ本来の「推し」度合いが弱まったということも想像できる。これが本当に「推す」気でならば理解できるよ。それに加えて「良いよ」と実際に勧められたならば「あ、「推し」なんだな」って理解もできると思う。

 ということで、本気で「推す」気があれば容認(行動が伴っていればなおよし) 、「推す」気の度合いが少なければ(ただ「好き」なだけ) であれば否認。というのが自分の感覚ということだ。ただそれを推し測る尺度とは…一体なんでしょうね?なお、自分が好きだからって人に「推し」まくっていたらうざいので(押しつけ)、それを控えている奥ゆかしさなのだよと言われたらそれはゴメンだけど。

 ということで「ちょっとでも好き」=「推し」になっちゃってるんならば「好き」だけでいいじゃん。なんでもかんでも人に勧めんのかよという話。

③内省その2(ついで)

 それと、仮に自分の好きなものを「推し」と表現するとしたらどう使うかを考えてみよう。音楽や漫画、ビールなどの好きなホビー等の中から特にお気に入りの物をいくつか挙げて、自分はそれに対して「推す」と言えるかどうかを検証して、「推し」の違和感にもう少し踏み込んでみよう。

・L'Arc~en~Ciel(バンド)⇒ 言えない

LUNA SEA(バンド)⇒ 言えない

・The Weather Station(バンド)⇒ 言えるかも

ジョジョの奇妙な冒険(漫画)⇒ 言えない

・ハイキュー(漫画)⇒ 言えない

・忍者と極道(漫画)⇒ 言えるかも

アサヒスーパードライ(飲み物)⇒ 言えない ※旧ね。新しいのは好きじゃない

・うちゅうブルーイング(飲み物)⇒ 言えるかも

・コカコーラ(飲み物)⇒ 言えない

NIKE AIR JORDAN 1(スニーカー)⇒ 言えない

NIKE FOAM POSITE PRO(スニーカー)⇒ 言えない 

NIKE LIL PENNY POSITE(スニーカー)⇒ 言えない

サンプル数が少なすぎてはっきりとしたことは言えないが、現状では「知名度が高い物には言えない(すでに人気のあるものには言えない)」、という可能性が高そうだ。

 例えばL'Arc~en~CielやLUNA SEAジョジョやコカコーラ(ラルクLUNA SEAジョジョとコカコーラを同じラインに並べるってどうなの)はまあ知らない人もいるが、これだけ有名ならば、なんらかの接点があった上で好きにはならなかったという可能性もあろうという感覚に基づく「言えない」ジャッジである(勧めるまでもないということ)。ただし、好きな物の大きい単位だからとも言えそうで、たとえばバンドや漫画の登場人物を分解してメンバーについて「推し」と言えるかどうかという可能性もありそうだが、あいにくメンバーの誰かについて「推したい」という感情を持ち合わせていないので内省は不可能(コカコーラの原材料を分解して砂糖を「推しです」とかってのは逆に愉快な気がするな)。

 スニーカーについては「言えない」なのだがちょっと感覚は違い、AIR JORDANは一般的にも名前は知られているレベル、FOAM POSITE PROはスニーカー好きの中では知名度の高いレベル、LIL PENNY POSITEはスニーカー好きの中でも知名度は低いレベルと思うんだけれども、全部「言えない」ように思われる。物と架空の人物を含む人のと違いか?ビールはビールじゃなくてブルワリーを「推し」とは言えそうだもんな。

 また「言えない」群は昔から知っているものであり、昔から知っているものには言えないという可能性もなきにしもあらずだが「昔から知っていて有名なもの」「昔から知っていて有名でないもの」の2パターンのサンプルを用意できればよかったけど後者パターンが思いつかず、さらに逆パターンで「最近知った有名なもの」と「最近知った有名でないもの」も用意できればよかったが、これも思いつかず。

 以上から、いろんな可能性は捨てきれないけど知名度が高いものに対して使うのは不自然、知名度が低いものに対して使うのは自然という感覚だ(これは容認or否認(気持ち悪い)というほどの拒否感ではなく、違和感レベルの話だ) 。なので、知名度が高いものに対しても低いものに対しても「好き」は使えるんだから、それでいいじゃん(結局)。なお、知名度の高低・知ってからの時の経過の長短の関係で言えるか言えないかの感覚は分かれる可能性はあるけどサンプル不足。

 以上。大学の1年生が言語学の講義のレポートで書きそう。